名前

ゆん(1972年生まれ)

エリア

東京都/沖縄県

経験業界

製造業(鉄鋼、食品)/ベンチャーキャピタル/スーパー

経験職種

営業事務/法人営業/商品開発/経営企画/業務管理/経理/人事/総務

実績

ワーキングマザー歴16年、高校生の娘と年上旦那の3人家族。
女性のみの営業組織を立ち上げ、自ら育児休業第1号となって社内規則を作り、営業管理職として働き続けやすい組織運営を行った

その結果、部下全員がワーキングマザーとして職場復帰が可能となり、中小企業ながら離職率が低く、業績安定に寄与する営業部隊が出来上がった。 営業のみならず、商品開発、受発注等の業務管理、を始め、社長直下で事業計画策定や補助金申請業務にも携わった。

取引先へ営業部長として出向し、顧客管理と税務知識を生かして取引先の子会社化に寄与。 出産が近くなり営業として外出・出張が厳しくなると給与計算、採用等の人事業務、決算業務含む経理、総務などバックオフィスのすべてを経験。 社内で顧客情報を一括管理できるシステムを導入し、商品開発から業務支援、セールスをスピーディーに行える、利益を生む組織を作り上げた。

20代から派遣社員、アルバイト、正社員と異なる雇用形態で転職しており、なぜかいく会社すべて、引き継ぎなし、トラブル満載の職場。 率先して目の前の課題に取り組んできたため、必ず「もっとこの仕事もお願いしたい」と言割れるようになる。

40代を過ぎて再就職活動をしていた際にも、ご指名で元の職場から声がかかり、派遣社員から3年後に正社員登用を果たす。 新卒が多い職場で中途採用ながら、部署での経験年数はナンバー2。教育担当として唯一無二の存在となっている。

女性が働き続けるには、ただ頑張り続けるだけでは息切れし、自分を見失う。自分の心と身体を自分でコントロールし、人生のハンドルは手放さないこと。 人生を3倍楽しく生きる女性を増やしたい。

雑誌掲載:
美活マガジンBody+(ボディプラス)休刊 「35歳からの輝きスタイル」
Oggi 「先輩女性に学ぶ 女の人生、26の決断」、

プロフィール

私のキャリアは大学進学に伴う新聞奨学生からスタート。 当時、女性の新聞奨学生は珍しく、男子学生ばかりの新聞配達店に女子は私一人。 新聞小学生とは新聞販売店に住み込みで、早朝、夕方の配達と集金という仕事をする変わりに大学の学費を出してもらう仕組み。 雨の日も風の日も雪の日も、バイクに大量の新聞を積み込んで、何度も転び、道路に新聞をばら撒く。そんな新聞配達を経験したことで、「将来は天候に影響される仕事は絶対やらない」と決意する。

思えば、この頃から学生x新聞配達員というパラレルキャリアを実践していたことになる。 「4大卒の女子は生意気で使えない」と言われ、就職氷河期に新卒で入ったスーパーを1年で退職。

派遣社員をしながら、平日夜と土日祝は終日、社会人大学院に通い、税理士を目指して勉強する生活がスタート。 (この時、派遣されていた会社に18年後、再び働くことになる人生の不思議なご縁) この時も、OL x 大学院生というパラレルキャリアを実践。

大学院で学んだことを実務に活かすために、経理職で転職したものの、採用されたのは未経験の法人営業職。 14年間、中小企業において女性だけの営業組織を作り上げ、部下が全員ワーキングマザーとして復職する離職率の低い組織になった。

その間に、結婚、出産し、自ら第一号となって育児休業制度、時短勤務制度、ワーキングマザーが不利にならず、働き続けられる人事評価制度を策定。 しかし働き続けてきた中には、管理職として仕事を優先するか、第二子を授かるかで悩んだことも。

男性上司からの、ヤキモチによるパワハラを受け、流産を2回経験した際には身体的にも精神的にも一番辛い時期だった。 さらに、この時期は娘が中学受験を控え、思春期の言動とダンナの家事と仕事への無理解に苦しむ毎日。自分が壊れそうになり、行き先告げずに10日間アメリカの知人宅へ家出。 20代から転職を重ねてきたものの、40歳を過ぎてからの再就職活動は営業、管理職経験をもっても難航する。

あきらめようとした時に「また一緒に働きませんか?」と元の派遣先からご指名がきて、難なく再就職。 肩書きもお給料もすべて手放した先には、「ゆんさんだからお願いしたい」とご指名で仕事が回ってくる世界にたどり着く。